野田塾のはじまり。高松市で女性塾長が個人塾を始めたときのハナシ

最近、私が学習塾を始めたきっかけについて
聞かれたり、人に話す機会が続いたのでよく思い出すようになりました。

いちいち話さなくてもみなさんが想像する通りなんですけど・・・と思っていたのですが
自分の夫でさえ「私がなんで塾を始めたのか?」をはっきり知らなかったことに驚き、公開されるところにちょっと書き留めておこうと思いました。
書いてみて、これはみなさん想像できないことかも?と思いました笑

私たち家族が家を買い引っ越してきたのは2008年3月のこと。
4月から長男が小学2年生、次男が幼稚園年中さんというタイミングでした。

私は以前住んでいた場所から近いところにある個別指導塾で講師のアルバイトをしていて、引っ越してからも遠くなりましたがその仕事を続けていました。
人に勉強を教えるのが好きで結婚前も家庭教師や塾講師をしていました。
「自分の子供たちが成長したらどんなに勉強好きな子になるんだろうなー」
「わからないことが出てきたら教えてあげよー!」
なんてふんわり期待して日々を送っていました。

ところが、小2になった長男が「引き算ができない」ということに気づき、
私は発狂しました・・・!
それまで私は色んな子供に勉強を教えてきて「引き算ができない子」は見たことがなかったので。

びっくりして、すぐ教えました。教えまくりました!
3つあるお菓子を1つ食べたら何個残る?とかいろんな言い方をして教えるのですが彼にはさっぱり答えがわからないのです。

詳細は覚えてないのですが、私も子供も泣き出して、部屋の外にいた主人が「泣かすなよー代わるわ」とバトンタッチしましたが、また泣いてました。。。。

そこで私は、「ここを塾にして誰か他の子も一緒にここで教えよう!そしたら私も怒ったりしないし冷静に教えることができる」と考えました。すぐにその部屋、玄関からすぐの和室を片付け、突然塾を始めたというのがはじまりです。

実はそれまでに長男にはいろんな習い事を試させてみたのですが、見学に行ってもそこのイスに座ることすら嫌がり、ガンとして拒み続けていました。のちにスポ少のサッカーも所属したりもしたのですが、その頃わかったのは「教えられるのがイヤ。教えられたくない」ということでした。
はーーー?ですけどね、彼なりにポリシーがあったのでしょう。

引き算の時の話を先日主人にしたら全く覚えてない様子でした。それにもびっくり、私には衝撃だったので、、、。
長男の名誉のために補足しますが、以降彼は、算数がちょっと苦手、くらいになり考え方が独特。という感じの子でした。中学の数学でも、「あーそうやって考えたんだ。確かにそれでも解けるし合ってるね」という思考の持ち主でした。そして高校の数学ではなぜか100点を連発、理系に進みました。わからないものですね。

よく、私が塾をしているというと「くもんですか?」とか「旦那さんはなんの教科を教えてるんですか?」「ご夫婦で?」など言われるのですが、夫は建築関係の会社員です。
私一人で個人塾をしているんですよねー珍しいですかねえ?

まあ色々ありましたが家から店舗に移転し合計14年間もやってきました。やっぱり勉強教えるのが好きなんですね。教えられたくないという子供を持ちながら、そんな人にプログラミング教室の教室長をやってもらい、親子で塾をしているという・・・珍しいパターンかもしれません。
私自身も勉強ができる方ではなく、苦労してきました。

が、そんな歴史を持つ野田塾だからこそ!できること・使命があると思っていますし、どんな子でも可能性があり味方になりたいと強く思っておりそれが野田塾の理念になっています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。