中学生のみんなへ 【野田塾塾長ってどんなひと?】

初めまして!

野田塾塾長の野田美紀(みのり)といいます。

突然ですがみんなは、
今どんな環境にいる??
どんな家族でどんな生活を送ってる?

ちょっと退屈かもしれないけど、私の小さい頃のハナシをするね。

私が生まれたところは愛媛県の小さな町。工場が多くて海と山があって、荒っぽい祭りで盛り上がるようなところ。

生まれ育った家は大きな農家。父親は農業をせず会社経営をしていた。ワリと裕福に育ったかな。

両親はキビしくてちょっと毒親だった。
なぜって私はいつも「バカ」扱いされていたから。
じいちゃんやばあちゃんからもそんな扱い。

何をやっても失敗する、頭が悪くて顔もブスで
おまけに運動神経ゼロ。

そんな風に言われながら育ち、
小学校の入学式でガチガチにキンチョーしてたのを覚えてる。
だって、何か失敗するかもしれなかったから。

それにこれから始まる「勉強」とか「体育」で、
みんなについていけないかもしれなかったから・・・。

そんな私がなぜ塾の先生なんてしてるんだろう?
と思わない?

忙しかった小学生時代

続きを話すね。
小学校時代は、母親が私のことを心配して
(ていうか、体裁?世間体?)
ありとあらゆる習い事で私の毎日を忙しくした。

月曜はそろばん、火曜は習字、水曜ピアノ、
木曜学習塾、金曜そろばんと塾、土曜体操教室・・・てな感じ。

遊ぶヒマなんてあまりなかったなー 
そのうち茶道までやらされて、
学校の帰りにお茶の先生とこ行きなさいって
言われ友達と帰れなくなったり。

あとね、夏休みに漢字帳を死ぬほどやらされて、
休み明けにノートを山積みにして先生に提出したのね、
高さ5、6センチくらいあったかな・・・。

逆に先生に怒られたという・・
こんなにする必要ない!って。

それでもテストで満足な点を取った覚えはあまりない。
「やっぱバカなんかな・・・」といつも思ってた。

そのうち父から「お前は性格が悪い」と言われ始め、
毎日そのお説教。
何がきっかけで性格が悪いことになったのか
覚えてないんだけど。

あのね、世の親たちに言いたいね。
あんまりネガティブなことを子供に向かって言い続けると、
その通りになるんだよ。

私はもともと素質がどうだったかわからないけど
「バカ」になったし「ブス」になったし
「性格が悪く」なった。
おまけにスポーツは大の苦手でぽっちゃり体型。
そういう人間になった。

色々サイアクな中学時代

その後中学に進み、相変わらずパッとしない成績、
ぽっちゃりの運動オンチ。
そしてブス。

ある時
「クラスで一番ブサイクは誰だろう?」って
一人の女子が言い出して、
一番に私の名前があがったときは夜泣いたよ・・・。

まあそれでもいじめられてはなかったし、
友達もいたし普通の中学生だったと思う。

一番ブサイクと言われたときも、
「そんなことないよーかわいいよー」と
かばってくれた子もいたしねw(絶対ウソw)

中学の頃はよく、神戸の親戚のところに遊びに行った。
私はその頃本当に
家族と離れたい、ここを出たい、住んでる地元嫌い、
という思いが強くて強くて、
県外に旅行するのが大好きだった。

愛媛の県庁所在地、松山へ行くのでさえうれしかった。
「あーもし私がこんな都会に生まれてたら
 今頃どうなってたんだろう?」
と妄想ばかりしていた。

しかしいくら親戚がいるとはいえ、
中学生女子に県外一人旅とかよく許すよね、
今になって思うと。
やっぱりあんまり大事に思ってもらえてなかった
のかな、と思う。

まだ瀬戸大橋や明石大橋なんてなかったから、
電車と船を乗りついではるばる海を渡って
神戸まで旅してたんだから。

ともかくそんな折に私に運命的な出来事が・・・!

親戚の人に連れて行ってもらった神戸の大学。
私はそのとき生まれて初めて大学というものを見たんだ。
たぶん大学生も初めて見たかな。

住んでるところに大学なんて一つもないのだから。
もうビックリした!!
こんなオシャレで自由で開放的な学校があるなんて。

その瞬間、
私はこの大学に行く!と決めて
愛媛に帰ったのだった。

それから人が変わったかのように勉強を始めた。
もうそれこそ気が狂ったかのように。

親戚の人は、その大学の卒業生だった。
「勉強しないとここへは入学できないよ」
と言われたのだった。

中学2年の冬だった。
成績は中の下、順位は余裕の3ケタ。
そのままいくと市内の商業高校がギリギリ大丈夫かな
って程度。

それを私はトップの進学校(公立高校)に目標を定め、
俄然勉強することにしたんだ。

でも、変わった!変わることにした

その頃を振り返ると、
なんちゅうモチベーション・・・とあきれる。

だって
「都会に行きたい!」
「家を出たい!」
「オシャレな学校に通いたい!」
そんな動機なんだから。

でもね。いいと思う!不純な動機で。
だってまだ中学生だよ?

世界平和とか、日本経済とか、国際協力とか、
地球温暖化とか、・・・
そんなこと知らないしカンケーないし。

自分が、自分ひとりが夢を見るのでいいじゃない、
と思う。
現状から逃げ出そうとしたっていいんだよ。

そして毎日毎日机に向かい、中1から全部やり直した。
全部ノートに書いた。
気が遠くなるような作業だったが、意地だった。

そして中3の夏の初め。
担任に「おいお前、どうした?」と話しかけられた。

テストが高得点過ぎて驚かれたのだった。
(カンニングを疑われてたのかも)
職員室でどよめきが起こったほどだったらしい。

順位も一気に100人くらい抜いたと思う。
まあ、痛快だったね。
周りはみんな私のことバカだと思ってたんだから。

私はどうしてもトップ校に行きたかった。
そこを出た有名人も何人かいるし、みんな県外の
大学に進学しているらしいから。

「私をバカにしたやつら・・・絶対に見返してやる・・・!」
それが原動力。

とにかく周りを納得させて家を出させてほしいと思った。
一人になりたい。
都会に行きたい。
自由になりたい。
・・・・

様々な思いを抱えて机に向かう毎日・・・。
クリスマスもお正月も机の前。

私は、5教科全て満点を狙っていた。
間違えたら落ちる!とおびえ、自分が信じられず、
わかってる問題も何もかも、何回も何回も解き直した。

「大事なところで失敗する」と親から何度も言われ
刷り込まれて育っていたから、
失敗がとても怖かったし、絶対失敗すると思ってた。

大人になった今だからわかるけど、
失敗はしてもいい!全然OK!
むしろいっぱい失敗したほうがいい!

ここんとこカン違いしてる人多いけど。
誰かが失敗したら、
「ほら〜。」「かわいそう。」なんて
思っちゃうけど、ちがうんだよ、全然ちがう。

「失敗は成功のもと」って言うでしょ。
あれ本当なんだから。

失敗が多いほど成功にグーンと近づいていくんだ。
失敗した人の方が一歩前に進んでるかもしれないんだよ。

だから失敗する前に止めてしまう親たちも、
優しさで言ってるようで実はそれは優しさじゃないんだよ。

その頃の私も全くわからなかった。
両親から
「あんたは失敗するよ、絶対失敗するよ。」
と言われ続けた。

するとどうなるか?
ちょっとしたことにおびえるようになり、
挑戦しなくなった。

できないことがますます増えていった。
私が自転車に乗ることができたのは、
なんと小学6年生だったんだよ。
おそっ!マジやばいよね。
失敗するのが怖かったんだよ。

だからこの猛勉強は14歳の私にとって
めちゃめちゃ冒険で挑戦だった。
大失敗するかもしれないからね。

高校入試・入学。どんな未来が?

迎えた高校入試当日。
私は念には念を入れた勉強をしていたから、
落ちるわけないと思いこもうとしていたけど、やっぱり不安だった。

結果は合格!!超うれしかった!!
だけどすぐ、大学入試のことを考え始めてた。
だって今度こそ失敗するかもしれないから。

そんな高校生活は、勉強一色。
中学途中からに引き続きひたすら勉強する日々。

でも学校行事とか、友達とふざけたりとか、
まあ楽しく過ごしたと思う。
賢くて面白い友達いっぱいいたし。
私のことブスとかイジってくるような子は誰もいなかった。

でも大学受験に失敗する不安はぬぐえない・・・
勉強してもしても、今度は本当に勉強内容がわからなくなった。
数学も、英語も、さっぱりわからない。

それもそのはず、私は最初ちょっと成績が良かったために
国立大学志望の選抜クラスに入ってしまってて、
東大が受かるレベルの授業を受けてたから。

現に同級生から東大(理3含めて)6人現役合格して
隣の席の女子まで東大文学部に受かったんだ・・・
ビックリしたけどね。
地方の田舎の公立高校だよ?

その頃はインターネットもないし、
受験情報雑誌だけが唯一の手がかり。
私が住んでるところには高校生用の塾すらなかった。

何もわからない、でもとにかく神戸のあの大学に行きたい!
それだけ。
実はそこは私立大学で、そんなに猛勉強しなくても入れる
くらいの偏差値だったのだ。
入試科目は3教科だけだから国立志望のクラスにいては
非効率だった。

もっと偏差値の高い私立大学を提案してくれても良かったのに、
国立クラスだったから何も言われない。
私立なんて滑り止めだからね。

私立大学が実は本命なんです!なんて言い出せなかった、
親や先生に怒られるから。
学校的にも国立に何人合格させたかっていうのは
実績として欲しかったんだね。

国立の方がアタマいい、位が上!って雰囲気。
今もそうかな。
だから地元の国立大学を受験した。
受験してあげたって感じ。5教科全部勉強して。

わからないなりにそれなりの点が取れたんだね、
受かっちゃった。
そして第一志望の私立大学にももちろん合格した。

親とはだいぶもめたけど、ちゃんとその私立大学へ
入学することができたんだ。
生まれて初めて自分の意見をゴリゴリ通した気がするよ。

そして春。
もうこれからは絶対勉強なんかしない!と決めて大学へ入学した。

あ、大学でもちゃんと勉強しなきゃダメだよ。
テストだってあるし。
その後の話はまたの機会にするとして・・・。

大人になって思うこと。

長くなっちゃったけどここまでが私の大学入試までの歴史。

受験や進路を決めるのって、
人生の転機というか誰でもみんなドラマがあると思う。

なんか私は、しなくていい苦労をしたというか、
ぐにゃぐにゃ曲がりくねった道だった気がする・・・。
それも絶対、アスファルトじゃなく砂利のでこぼこ道。

大学卒業後、あんなにイヤだった地元に帰ってくることになった。
そして色々あって派遣社員で働いていた時、
すっごく給料が少なかったんだ。生活できねーよってくらい。

で、夜に家庭教師や塾講師のバイトを始めたんだ。
そのときに自分が小学生、中学生だった頃の記憶が
バーーっとよみがえってきた!地元にいたし。

私みたいな思いをする子たちを助けたい」と思ったね。

私はもともとバカだけど、勉強すれば成績だって
 上がるんだってことを教えてあげたい
」と心から思ったね。

だからといって学校の先生は絶対イヤだったから
教員免許は取ってない。

学校の先生は私の味方だと思えなかった、ただの一度も。
むしろ見返してやりたいメンツに入ってた。

そうじゃなくて、自信をつけてあげながら、
わかるようになるまで付き合って、
イヤなことから逃げ出す術を教えてあげたい・・・
そう、味方になりたい!!

それで現在まで塾の先生という仕事を続けてるってわけ。

私がもがき苦しんでいた受験時代からもう四半世紀以上がたち、
世の中は様変わりした。
インターネットで何でも調べられる。
それは一人一人がスマホを持つことでいつでもどこでも可能で
人と簡単につながることもできる。

そんな中、教育の世界はひどく遅れているようだ。
しかし確実に前とは違う。

大学に入るときに「もう勉強しない!」と決めたが、
やっぱり勉強はいつまでも必要なのだ。
もちろんもう5教科じゃなくて、新しい情報だったり教養だったり。

そうして私はさらなる勉強を通して、それを塾にも反映しているよ。
中学高校と大変だったけど勉強してきて良かったな、
と本当に思うんだ。

色々大変だったからこそ、みんなに教えてあげられる
ことも多いと思う。
回り道せず簡単に勉強できる方法もあるから教えたい!

もし興味があれば会いに来て!
連絡してね。
ここからメールできるよ